次世代へのバトンタッチ ⑤共育塾の進化とバトンタッチ準備1/2
共育塾は、いつの間にか私のライフワークになっていきました。
今回は、共育塾を軸にした話を続けていきます。

共育塾が始まるキッカケは、九経局から声がかかり中小機構・新連携事業にPMとして参画した時のボス星崎さんと知り合ったことです。星崎さんから「自分は天神塾を主宰して若手人材の育成をしているが、あなたも熊本で次世代人材育成を始めたら?」「今からはアジアの時代、福熊連合で東アジアに発信していかないか?」との声掛けをいただいたことがキッカケです。
共育塾を企画・準備1年、2007年に立ち上げた時から天神塾の兄弟塾となり、星崎さんには共育塾1期生の時から、会食懇談などで全面協力(入塾式・修了式に来賓参列したり井川事務局長が来賓参列し祝辞代読)していただいてきました。

いつの間にか20年近く経ち、共育塾の仕組みも初期のスタート段階から徐々に進化していきました。

1期生は1月にキックオフし、12月に修了式を行いました。
調べてみると、カリキュラム内容は「キックオフ、企業事例紹介(講師:横山or山本先生)を間に挟んで、資金調達の方法、行政施策の活用、パテント基礎知識、マーケティング基礎、そして塾生発表&助言」で始まりました。現在の定期塾講義の原型になります。
翌月から2期生がスタートすることになり、スケジュール的にも最も厳しい状況に直面しました。(カリキュラムの改善を含めて、その準備作業が大変だったことを憶えています。)ちょうどその頃には、支援センターPMと新連携PMに加えて地域診断士研究会や共育塾を立ち上げたりして、ストレスが大きかったこともあり、思いもよらぬ眼筋型筋無力症を発症してしまいました。1期生の入塾式集合写真を見ると、私はすでに瞼が垂れていたのでサングラスをかけています。
そのような試行錯誤を経ながら共育塾4期生からは、4月にキックオフして翌年1月に修了式をするように変えていきました。
共育塾3期生の修了式を控えた年末に、食事する時に違和感を感じるようになり、短期間で筋無力症の症状が悪化し、アッという間に殆ど食事もできなくなりました。眼筋型から全身型重症筋無力症に急変・悪化したわけです。病院からは早めの入院手術の話がありましたが、3期生の修了式は終わらせたい気持ちが強く、修了式が終わってから入院手術することに決めました。
塾生OBや天神塾・星崎塾長のサポートをいただき、1月の修了式をなんとか終わらせることができ、ホッとしたのを今でも鮮明に憶えています。修了式で挨拶をしている最中にロレツが回らなくなったので簡単に済ませたりして、なんとか無事修了式を終えることができました。
全面支援いただいた星崎さんや塾生OBには、心から感謝しています。
そして熊大病院に緊急入院し胸腺除去手術したあと、ステロイド・パルス療法(大量投与➩急減➩徐々に減らす方式)の安定期間を過ぎるまで、半年間を熊本機能病院に転院し長期療養を続けました。一時は骨粗鬆症&免疫力低下で菌感染しやすい状況でした。
今回の難病対応については、2期生のワイズリーディング・中山社長(医学博士)には「手術するかどうかの相談や、転院先の段取りなど」で非常にお世話になり、心から感謝しています。
入院期間中は、HPコラムは「継続は力なり!」だと考えて、“中小企業庁HPに掲載されている「おもしろい中小企業」”の中から抜粋掲載し継続しました。 
退院後に落ち着いてから入院時に書き留めていたメモを素に、HPコラム「新たな気付き」として7回連載しています。第1回の「人生初の長期入院」は以下のURL。
https://visnet.ne.jp/ep/chieikasu/column/column137.html
症状が悪化したあとに病院からもらった資料では、「60歳を過ぎて筋無力症になったら術後、2割は短期間で亡くなり、6割は今までの活動はできなくなり、残り2割が現業復帰できる」とのことで、遺言書まで準備して強い覚悟をもって入院生活に入りました。
入院期間中に考えたことの一つに、「私が死んでも、共育塾は継続していってほしい」ことがあり、入院中にフロンティアビジョン・渡邉社長(共育塾1期生)に共育塾NWのHPを作ってもらったり、地域診断士研究会メンバーの中から選ぶことを考えて、発信したりしました。